梅原猛の授業 仏教 梅原猛 2002年2月5日 第一刷

中学生に向けての授業を本にしたもの。宗教まんせーな感じ。

1時限 なぜ宗教が必要なのだろうか

導入部なので読み飛ばしてもOK
戦後道徳がなくなった。宗教がないところに道徳はない。道徳がないと何をしてもよいということになりがちで、現代はそうなってる。
カラマーゾフの兄弟

2時限 すべての文明には宗教がある

文明有るところに宗教あり。道徳などと結びつけて必要性を説く。
「歴史の研究」によると世界は8つの文明があるということを言っている。その文明らの背後にはすべて宗教が控えている。西欧文明はキリスト教、東欧文明はロシア正教、ローマ協会がローマとビザンチンに分かれて、分かれたビザンチンの方が後のロシア正教。アラブ文明はごぞんじイスラム教。インドのヒンドゥー教。中国はあえていえば儒教。そして日本はあえていえば仏教。中南米キリスト教ネイティブアメリカンのあいのこ。アフリカ文明はアニミズム天地万物に命があるというもの。
小麦農業+牧畜と米農業+魚でも分けられる。小麦農業だと雨がそこまでいらないので森林を伐採して農地にし、荒れ果てたら移動。自然を支配蹂躙する文化体系になり、ここでは人間中心の宗教一神教が生まれる。米だと雨が多くいるので森林を切り開けなく、自然と共存するような宗教が生まれるのでは。仏教は米のほうで、よいですよという流れ。
文明の衝突
・歴史の研究 アーノルドトインビー

3時限 釈迦の人生と思想を考える

題の通り。
ドイツ哲学者のカール・ヤスパースによるとおよそ紀元前5世紀ごろに世界の4聖が誕生して現在の人間たちの精神的な基礎を支える思想がうまれた。哲学のソクラテスキリスト教のキリストの思想の先駆をなすという第2イザヤ、仏教の釈迦、儒教孔子。農業を覚えた人間らが物質的に豊かになり、欲望をコントロールする精神的原理が必要という世間の要求がこれらの4聖を生んだと考えられる。ヤスパースは工業が発達した現在には、新たな精神的原理を人類が生み出す必要があると考えている。
釈迦の人生をざっと紹介。
釈迦の人生の姿が一番表されるのが死に方にある。キリストは磔、ソクラテスは恨みをかって自ら服毒。一方、孔子は畳の上で普通に、釈迦も田舎で病気で死ぬ。西洋のほうでは怒りの思想、聖者を殺した人に復習するという思想があると述べている。(ほんとか?)釈迦は病気で死ぬし、キリストやソクラテスと違って天国を説かずに、人生はこういう物だからと言って死んで行く。
釈迦の教え。四諦。諦はあきらめではなく、深い真理を表すことば。苦諦、集諦(じったい)、滅諦、道諦。苦諦は人生は苦であることを悟ること。集諦は苦の原因が欲望であると悟ること。滅諦は欲望を滅ぼすこと、コントロールすることを悟ること。道諦は欲望を滅する方法のこと。戒、定、慧によってなされる。戒律、禅定、智慧

大乗仏教は山から下りた

日本で信じられている仏教の主流である大乗仏教を紹介。
大乗仏教は龍樹、サンスクリットでナーガールジュナという人が始めた。伝記にようるとエロが人生の喜びと考えていた龍樹は、友達と姿を隠す術を使って宮廷に忍び込んで宮女とやりまくったりしてた。宮女が妊娠しまくるので怪しまれ、あくる日警備の人らが門を閉め、なにもない空間(龍樹らが実はいる)を斬りつけまくった。友達らはみんな死んだけど龍樹は助かって、そこで快楽のむなしさを知り大乗仏教を作ることになる。たぶんすごい端折っているがおもろい。
大乗仏教は大きな乗り物=ここちよいすぐれてるという意味。昔の仏教は悟ってもそこまで広める意識や人を救う意識が足りなかった。それを龍樹はなげき町に出て救わなくてはいけないのではと思った。その、窮屈さから昔の仏教を小乗とよび、自分らのを大乗とした。
この大乗仏教では龍樹が龍宮にいって釈迦の500年眠ってた教典を見つけて持ち帰ったとしてる。たぶん自分で書いたけど、インド人の特殊な時間感覚で信じられ、そしてその後もどんどんいっぱい見つかった(書かれた)。その上、各地に伝わって翻訳されまた亜種が作り出され、、、ということが積み重なり教典は増えた。
日本では小乗仏教がぜんぜん入ってこなかった。後に明治維新などでヨーロッパ経由で仏教学を学んだら、ほんとうの仏教(ほんとうという言い方は良くないが)は小乗と聞いてあぜんとしたらしい。ちなみにタイ、ベトナムスリランカは小乗。中国は大乗。
大乗仏教で重要なのは自利利他、菩薩行。自利利他は自分に利することをしつつも、他人にも利となることをするという精神。どちらによりすぎてもだめ。そして菩薩行。龍樹が作った般若教、簡略版の般若心教にその教えがのってる。世の中のこと一切は空であることを悟り、なにものにもとらわれずに、なにによりすぎることもなく、中を行けと説く。中とは中道。
小乗こそ仏教の本質・源流であり、大乗は仏教じゃないという議論もなされたが、著者は仏教を釈迦の教説を基に発展した思想体系であると考えているので、そういった議論はナンセンスだと思っている。

第5時限目 生活に生きる仏教の道徳

道徳というものは宗教に基づいていると考えている。そこで、仏教の道徳がいかに日本人の道徳に結びついているかを説く。八聖道、六波羅蜜という仏教の道徳があるが、かぶっているところもあるので、そこから4つの大事なことをピックアップして話して行く。
まずは精進、八聖道では正精進。これは努力。
次に六波羅蜜でいう禅定、八聖道では正定。戒、定、慧の定ですね。各学者の集中しすぎてポカしたエピソードとかを語って集中力の大事さ、また、学校の成績が良くなくてもここぞというところの集中力大事って言っています。
次は正語。正しい言葉を使えということだけど、その意味で一番大事なのは嘘をつくなということ、正直であるということ。
最後は忍辱。忍耐とは違う。忍ぶ屈辱と書くことから分かるようにはずかしめを耐えろ。Mってことではなく。自殺する人が増えてるけど、失敗して死にたくなっても耐えることが大事。そういうことは人生に何度かあるよって。

中学生に教えて意味のあるところを抜粋している感じを受けた。ちゃんと授業しているなと。

第6時限 討論・人生に宗教は必要か

掲題についての真剣十代喋り場です。
ここで発言してる中学生がめちゃくちゃに利発でほんとかって思う。自分の中学生のころと比べ物にならん。けっこう後で文章を綺麗に手入れたと思いたくなるほどかっこいい発言をしていて、おじさん、もう。
A君 すべての宗教は同じ物を別の見方で見ているものと考える。宗教は自由に見るべき物を固定した見方にしてしまうので、自由意志を束縛してよくない。
B君 宗教は現実からの逃避という面もあっただろうが、道徳的規範として必要だったのでは。今でも、いや、今こそさらに必要ではないのか。
C君 道徳有れば宗教いらない。極楽を目指すと現実がおろそかになるのでは。
D君 宗教に賛成だけど、戦争とかに利用されている負の歴史はあるし、宗教の裏付けのない道徳には力がないのでは。宗教は基本的な思想は共通してそうだし、共存も可能と考える。よって、宗教あってもよい。

このあと梅原さんがお互いに討論するべきといいディベートに。
自分の意見としてはA君の「同じ物(神的なすごいもの)をみんなで別方向から見てる」という考え方。多神教もすごいものを切り取って部分々々見ているってことにすればいいんじゃないという考え方。宗教での戦争は大嫌い。ほんとうに各宗教のコアを信じれば戦争なんてできないはずなのに、できちゃうあたりがおばかだと思っている。

第7時限 日本は仏教国家になった

日本はどのような人物の働きで仏教が広まったかを話している。
これまでの授業で喋ったことは通仏教、仏教全体の話。ここからは日本の仏教の話。
すでに話したように日本は大乗仏教。日本以外だとチベットくらい。ほかは小乗仏教。伝わりもとの中国韓国はすでに仏教が盛んではない。さらには真言密教、浄土宗、日蓮宗などが残っているのも日本くらい。かなり特殊。
日本が仏教国になったのは聖徳太子行基という人のおかげである。聖徳太子律令制をしき、日本の法律の基礎を作ったが、その中心には仏教の思想がある。加えて、聖徳太子は教典の講義をした。皇太子かつ摂政である聖徳太子が教典の解説書を作るなど、普通ではありえないことをし仏教を広めるのに尽力した。聖徳太子法華経中心であり、以後日本の仏教は法華経中心になり、さらに最澄法華経中心の天台宗を建てる。天台宗から日蓮
が出て来て日蓮宗創価学会法華経。ということで、日本の仏教は法華経中心。法華経は実は一乗仏教というもので、小乗と大乗を統一するもの。(んじゃなんで日本は大乗仏教って言ったの?)
聖徳太子が上から、行政の側から仏教を広めたのに対し、行基は下から広めたひと。遍歴して道を造ったり橋をかけたりしてみんなのためになることをしながら仏教を一般民衆に広めて行った。行基は人気があったし尊い人だったので東大寺を作ることを聖武天皇からまかされた。
その後さらに最澄空海という2人の優れた僧が出た。最澄天台宗の坊さんで比叡山延暦寺を建てた人で、桓武天皇最澄に会って惚れ込んで比叡山に近い京都を都にしたとかいう話もあるぽいと筆者は言っていた。

第八時限 空海密教をもたらした

空海真言密教の話。
平安京をまもる一端を担う東寺は空海嵯峨天皇からまかされて作った。
仏のグループは4つに分かれる。如来、菩薩、明王、天。如来は悟りを開いたひと。菩薩は如来の候補者。明王如来や菩薩を守る。天は古いインドの宗教での神。
如来は髪の毛がカールしている。体に装飾具を付けてない。唯一例外は大日如来は王冠をかぶっていることがある。密教に関係がある。
菩薩はふつうの人間の姿をして装飾具を付けている。
明王は怖い顔。
天は帝釈天とか弁天とか。見分け方を書いてくれてない。ま、それ以外を見分ければ。
あとは空海の歴史と密教の話。密教は深い、隠れた教え。曼荼羅を崇拝する。行動にあったりすつ仏さんの集いを曼荼羅とする。時間的な世界表現が金剛界曼荼羅、空間的表現が邰蔵界曼荼羅曼荼羅の中心には大日如来がいて、宇宙の中心に大日如来がいて、これを宇宙の本質としている。が、人間味なそれぞれに如来だよ。という思想。うめずかずお14歳

第9時限 鎌倉は新しい仏教の時代

鎌倉時代に仏教が爆発的に全国に普及した。その経緯と内容、重要人物について語る。

鎌倉時代に3つの新しい仏教、浄土教日蓮宗、禅が発生した。この章では浄土宗、浄土真宗について。
まず源信という人が平安時代にいて、この人は念仏すれば誰でも救われると言った人だけど、念仏の方法は阿弥陀仏を想像すること。口で言う方法ではなかった。
そこに鎌倉時代初期に法然という僧が現れて、口で「南無阿弥陀仏」と言えばどんなアホでも貧乏人でも女性でも悪人でも救われると言った。
これは平等の精神に乗っ取って、いずれの人も救おうという思想から生まれたもの、かつ、7世紀の僧=善導が書いた「観経しょ」というものに根拠があるとする(なんか無理矢理裏取ったみたいな感じを受ける)。この法然の教団が浄土宗。
親鸞法然の弟子だが過激派である。法然の教えの究極に突き詰めれば肉食妻帯を行ってもよいという解釈をし、自らそのような行いを行った。実際、欲望の制約は弱い人間存在には難しく、僧は影で畜肉食べてた(ウサギの話)し、般若湯といってお酒のんでたし、大黒さまと言って奥さん持ってた。それをぶっちゃっけちゃった人なのかも。親鸞は生きているうちは有名じゃなく、死んだ後覚如という人が本願寺教団というのをつくり、覚如の子孫蓮如という人が布教うまかったから広まった。西本願寺東本願寺が本山。
浄土教の面白い人がもうひとりいて一遍というひと。なんと念仏を行うと楽しくてからだがうごいちゃうっていう人だったので、それをひろめた。これは踊り念仏を行う時宗になった。
念仏は仏教か否かという議論があるらしい。本来の仏教、小乗仏教の教えからかけ離れすぎているからだと思われる。梅原は以下の2点から仏教だと思うと言っていてる。1平等さを広げて慈悲を体現している2悟りを得られる。密教とは違い、悟りを他力(阿弥陀さまによっている)で得られることがよいと(よくわからん)

第10時限目 鎌倉は新しい仏教の時代2

前説の続き。残りの日蓮宗、禅について。

日蓮法然の浄土宗を否定する法華経が好きな天台宗法華経の信仰が消えちゃうのがやだった。が、やることは法然の影響をうけてしまい、「南無妙法蓮華教」と唱えて救われるということをやりだした。法蓮華教は法華経そのもの。教典に帰依しますという意味になる。法華経原理主義みたいな。浄土宗が鉦(かね)を鳴らしながら唱えどこか物悲しさがあるのに対し、日蓮宗は太鼓で元気いっぱい。現世に生きて現世で仏になるぜ!っているはつらつさがある。人物なら石原莞爾宮沢賢治、団体なら創価学会立正佼成会日蓮系。宮沢賢治日蓮系の排他性を受け継がずに「すべての生きとし生けるものに共感する」という面を受け継いでいて、筆者はこの人がいま重要だと思っているようだ。
禅は中国で仏教が道教と結びついてできたもの。日本にも伝わった。禅は自分が仏であり、自分以外に仏はいないというらしい。仏は偏在するということの別解釈っぽいがちょと難しいぽい。禅では公案と座禅で悟りをひらく。公案は禅問答そのもの。「仏とはなにか」「仏はえらいひとなり」「そんなん誰でも言える、落第」「うんこである」「おまえは悟った」仏はなんでも仏であるからして、答えはなんでもよい。ただ、自分の個性を出さなくてはいけない、っていう感じ。座禅は釈迦が座禅してるから、その同じことをして釈迦そのものになるという考え方。禅は知的なものだが、偽物なども生まれやすいと筆者のベン。
禅の寺の紹介。塔頭がうつくすいらすい。
今まで話したのは臨済禅。これとは別に道元(日本人)がはじめた曹洞禅がある。厳しい禅。臨済宗は無を悟というところが武士らにうけ、アッパークラスに広がった。曹洞宗はアッパークラスに入り込めなかったので民衆で広げていった。いまでは禅は曹洞宗が一番多く浄土真宗に匹敵するほどの勢力。
このように時代が大きく変わる鎌倉時代にすばらしい人たちが出て来た。今は社会主義が流行らなくなって、しかし資本主義もうまくたちゆかなくなっていて、世の中が大きく変わろうとしている時代で、鎌倉時代に似ていると言える。こういう時代なので法然親鸞のような分かりやすく、それでいて画期的な人が求められていると言える。

第11時限 現代の仏教はどうなっているか

鎌倉時代にいろいろな仏教が広まり、室町時代にさらに広がり室町文化が花開いたけど、江戸時代には儒教が国教になり、武士らは儒教仏教は庶民の宗教になった。仏教は読み書きそろばんとともに寺子屋で教えられた。明治時代になり学校教育になると仏教は教えられなくなって、代わりとして修身教育がならさた。修身教育は儒教神道を変形した忠君愛国の思想であり、仏教の影響はなさそう。で、現在の歪んだ神道の批判。神道で祀るものは怨みを持って死んだ物、祟りをなすもの。靖国はその点などでおかしさがある。
明治時代に庶民から仏教が消えたが、ぎりぎり文学者/作家、新興宗教が宗教の重要性を説いた。で、宗教に影響をうけた人たちの紹介。筆者は宮沢賢治が好き。
そして、梅原さんが朝日新聞に書いた文章を紹介しつつ持論の説明。結論、仏教の精神は遺伝子に含まれている。自分を長く生きながらえさせようとする本能と、子孫を残そうとする本能が自利利他の精神だと。

あんまり現在の仏教の話になっていない気がするが、本当に現代の話をすると問題になるからちょっと前までくらいしか言えないのかなと邪推。

第12時限 いまこそ仏教が求められている

なんとこの授業の一週間前に9.11のテロが起きている。さすがに宗教の授業でその話に触れない訳にはいけないのでその話をして、がんばってまとめている。

昔はイデオロギーの対立。社会主義と資本主義。今後はハンチントンの言うように文明の衝突になるだろうし、今回の事件はそれをまさに表現しているような事件。ブッシュはテロと自由社会の対立に置き換えようとしているが、根底にはキリスト教の西欧文明とイスラム教のイスラム文明の対立があることは明確。
ユダヤ教からキリスト教がうまれ、さらにユダヤ教キリスト教からイスラム教が生まれたので、実は世界で有名なこれらの一神教は異母兄弟のようなもの。ユダヤ教ユダヤ人、十字軍、ロシアのホロコーストイスラエル湾岸戦争などに触れつつ今回の事件についての根の深さを説明している。
現在の西欧人はキリスト教をそのままに信じているわけじゃないが、キリスト教社会の近代文明の信奉者ではある。これはあらたな一神教ではある。この新しい一神教イスラム社会の対立が第3次世界大戦を引き起こす可能性があると。ここで仏教の精神が重要になり、怨みを捨てていこうよと、日本は仏教を持って和平の使者になるべきと。さらには仏教もそうだけど多神教、多神論が重要。世界は多を含むからすばらしいんだと。

多がすばらしいのはそのとおり。ゲーム機でも一社独占は値段が下がらん。宗教についての発言を訂正するべき。いる。なくなるとつまらないから。また、多がいいから。言い忘れ。