仏教 渡辺照宏 昭和32年(西暦1957年)4月20日 第4刷

第一章 仏教のみかた

小見出しごとにどのように仏教を見て行くかの指針を示している。以下、小見出しごとに概要説明。

日本人の生活と仏教

日本において仏教は表立って関わってくるものではないが、生活において隠然と関わってしまっているものである。しかし、日本人の仏教の知識はおそまつなものであり、さらに言えば日本の仏教は本来の仏教と少々異なっているところがあるものでもある。本来の仏教というものを知ることで、現代の仏教を再評価することが可能である。

祇園精舎の鐘」

誰もが知る「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は必ずしも歴史的に正しいものではないことを説明し、仏教がインド、中国、日本と伝わるたびに付加要素により変化し、様々に分化している。そのためそれぞれの違いを知り、我々の生活に関わる部分がプラスかマイナスかを考えることに意味がある。それぞれの優劣を考えることに意味はあまりない。

仏教の文献

仏教研究に使われた文献について説明している。漢文とチベット語が多いらしい。

考古学的資料

仏教の歴史研究とそれに使われる資料・遺跡などの重要性について説明している。ブッダが実在するかどうかという問題について、遺骨が見つかったことによりそれに決着がついたことなどを例にあげている。

思想史的観点

思想史を研究する際は、その思想がなぜ生まれたかを時代的背景、空間的背景、隣接する思想体系などいろいろな要素を考慮する必要がある。ことに仏教発祥の地であるインドの風土的背景を考慮にいれないことには始まらないが、現在まではわりとそこが軽く扱われていた。気をつけるべき。

民俗学の問題

仏教は他の宗教と比べても他宗教に寛容であり、民間信仰と結びつくことも多かった。そのこと事態はプラスとマイナスの両面を含むが、仏教の今後の見通しを考える上でこの特性は重視するべきである。

仏教の近代的研究

これまで述べたようなみかたによって仏教の本格的研究は可能となる。現在までの偏った研究のままでは仏教にとってマイナスだと思うので、この本でもこれらの方針に準じるものとする。(風当たりが強かった模様)

仏教とは

仏教とはなにかを「仏陀の宗教」から「宇宙精神たる仏陀を直観し、われわれ自身において実現するもの」という様々なレベルで概説している。

仏教の地域的区分

この本ではインドを主とし、中国・日本を加味する形で話を進めるとのこと。

第2章 仏陀

この章は仏陀の伝記である。生涯を老いながら仏陀の教えについて概説している。手塚治虫の名作ブッダを読んでいると理解が深まると思われる。

仏教における仏陀の地位

仏教創設者はシャークヤムニという人物です。シャークヤムニは仏陀なんですけれども、仏陀はシャークヤムニだけに使われる言葉ではありません。仏陀とは「悟りを開いたもの」を指すことば言葉なのである。よく一般に仏陀=「仏教の創設者のみを指す言葉」と認識されているがこれは間違いである。シャークヤムニは多数いたはずである仏陀の中で、広く教えを説き仏教を作ったという点でほかの仏陀とは区別されるべきである。これは他の仏陀も仏教を作る可能性はあったのであるが、やはりシャークヤムニという人物がそのような活動をするのに適した人物であったとともに、時代背景なども仏教を受け入れるのに適していたと考えられます。

仏陀の伝記について

仏陀の伝記には超常現象的な表現も散見され、これらを排除したくなるんですけど、これらも仏教の重要な要素としてそのまま受け止めたほうが、仏教をあるがままに見れそうらしいです。

インドの風土

インドには広大な土地、長い歴史、人口が多さ、多様な言語があり、それらは仏教の発生に多大な影響を与えたと考えられそうです。

古代インドの宗教事情

古代インドにはバラモンを頂点とする宗教が完璧にできあがっていた。王侯貴族よりも宗教家であるバラモンのほうが権力的には上であるほどだった。カルマ、輪廻転生、解脱の概念はこの宗教の中で成立した。一般市民は輪廻転生による永劫の苦しみにおびえ、山河森にひそむ神々を恐れ、解脱による救いを求めていた。解脱への方法は1苦行(タパス)2精神統一(ヨーガ)3信仰(バクティ)によって得られるものと認識されていた。これらの下地を基にして仏教が成立することになる。

仏陀の故郷とその周辺

仏陀はある国の王子。周辺には多数の国が存在していた。統一国家があるわけでもなく、国の影響力が民衆に多大な影響を与えるでもないこのような時代では、人間の尊厳や実際的な生活を重んずるような、言うなれば神を満足させるよりも人間を満足させる宗教が発生しやすかったと考えられる。

ボサツの誕生

ボサツの説明と伝記作者の擁護。

あれか、これか

ボサツ誕生時の逸話の紹介とそれについての考証。

太子の生活

幼少期から出家にいたるまで

修業時代

出家から解脱まで

仏陀となる

仏陀になるとは何かって言われても説明しきれるものではない。しかし次の点は重要。1仏陀は自分で普遍的な真理を悟って自分で仏陀になっており、誰かに認められて仏陀になったわけではない。2仏陀は神ではないし、神に関係するものでもない。まめ知識としては、インドの神々は人間を越える能力を持っていてもカルマにしばられ輪廻転生してるし、感情や意志を持ってたりして、ある意味神道における神々に似てる。

真理(ダルマ)の意味

仏教で真理に相当する言葉をダルマ=法という。説法=法を説く=真理を説明する。真理は仏陀が作り出した物ではない。仏陀は真理を認識した。

自利と利他

仏陀は真理を悟ったけど、普通に生活を営んでるひとにこれが分かるはずないと思って最初は法を説くことをやめた。が、ブラフマンががんばれと言ったのでがんばることにした。

最初の説法

最初の説法はサールナートの鹿野園というところでなされた。カレー屋ではない。まず、2つの極端がありそれは快楽にふけること、自分で自分を苦しめることに夢中になることである。中道を行け。中道とは八つの正しい道からなる聖なる道である。正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想。これを八正道という。

苦悩について

4つの聖なる真理というものがあり、この真理はダルマとは呼ばずサトヤとよばれる。たえではない。苦悩についての真理であり、1苦悩、2苦悩の起源、3苦悩の超克、4苦悩の超克に至り付く道の4つである。まず、苦悩とはなにかであるが、人間を構成する物質的精神的な要素はすべて苦悩である。すべての事柄、老病死も苦痛、死の原因となる誕生までもが苦悩である。

苦悩の起源

苦悩の起源とは欲望である。欲望には3つ種類があり、それぞれ感覚的欲望、生存への欲望、生存の断絶です。感覚的欲望、生存への欲望は文字通りのものである。生存の断絶への欲望とは、生存そのものから逃げ出したいという欲望である。夢さえ見ない永遠の暗闇、虚無へのあこがれである。当時、諸宗教にてこのような境地が理想とみなされた場合があったが、それを戒めたものである。解脱への欲望は欲望ではないの?

苦悩の超克とその方法

苦悩の起源が欲望ならば、苦悩の超克は欲望の一切を捨て去ることである。その方法とは中道の説明で述べた物と同じ、すなわち八正道である。仏教の実践理論として八正道は重要なのである。見解、決意は仏教者としての態度、言葉から努力の4項目は生活の規準、思念/瞑想とは以上を正しく行った者に訪れる宗教体験である。これらは、戒律、禅定、智慧としてまとめられることが多い。

戒律

あらゆる他の宗教と同じく、仏教にも守るべきルールがありそれが戒律である。何かの目的を達するためには一定の生活規準を守らなくてはいけないわけで、人間の理想を希求する人にもそれはあてはまるということである。正式の僧侶は男250、女348の戒律があるらしい。女の方が多いのが興味深い。仏教の戒律は自主努力によって守られるものであり、その点は他宗教とかなり異なっているものである。この戒律の弱さは仏教の強みでもあり、弱みでもある。

瞑想

瞑想はヨーガ、ドャーナ、サマーディなどと称される。瞑想では欲界、色界、無色界と呼ばれる3つの体験世界があり、無色界にたどり着くことがすべての仏教者の目的である。欲界は官能と感覚の世界=日常、色界は官能を超越したがまだ形態の思いが残る世界、無色界はあらゆる形態を超越した純粋理念の世界である。正しい禅定は正しく戒律を守ったもののみ可能であり、それができて初めてきちんと宗教的叡智を得ることができるということが重要である。禅定そのものは心持ち次第で間違ったものになることもあるのである。

宗教的叡智

智慧、叡智、般若と称される。これは一般の知識や認識とは異なるものであることである。分類、整理などを必要としない、まさに悟りなのである。さらに重要なことに、これは普遍的な真理であり、悟りをひらいた別個の人間は、まったく同じものを悟っているのである。個人的妄想などでは決してないことに注意すること。これを得ることで輪廻から脱却することとなる。

最初の弟子たち

前に一緒に修行した仲間5人が最初の弟子。

教団の発展

2、3年ですごく広まった。

仏陀の日常生活

他の弟子と同じく質素な生活。説法と戒律の制定が主な仕事。弟子たちは性欲に一番悩まされた。

誹謗と背教

異常な速度で流行ったので他の宗教団体は驚いた。しかし、仏陀の人物を知るとその声はおのずから消えた。敵対するものは少しいた。仏陀はしかし怒らない。

仏陀の人となり

すごい温厚。相手の立場をくみ取り話をする。また話に比喩を用いて分かりやすく話すという話術の妙をも押さえていた。加えて、沈黙の威力、語るべきこと語るべきではないことを厳密に区別していた。弟子が宇宙が永遠かどうか聞いたときにも、その話題についてはなすべきではないと思い、適当な逸話でお茶を濁し語らなかった。寛容さも特筆すべき点としてあげられる。地位のあるものが改宗しようとしているときに「あなたほどの有名人がみだりに立場を変えるのはよくない」ともとの宗教のままでいるように諭したりしている。

入滅

80歳まで生きた。長生き。肉体的に病気になるのは仏陀も避けられなくまさに仏教を体現している。

第3章 教団とその歴史

この章では仏教の教団がどのようなもので、そして、どのように広まって行った、または、衰退したかを紹介している。

教団の構成と機構

在家信者と出家がいる。男はビク、女はビクニ。八百比丘尼ですね。すべての僧侶には階層などはなく平等。僧侶の生活は本来は遍歴。雨期の3ヶ月4ヶ月のみ僧院にとどまり共同生活をする。しかし、だんだんと僧院に常駐する傾向が強まった。生活は布施、寄付によってまかなわれていた。インドでは宗教家に寄付することは喜ばしいことで、一般市民も国としても寄付などしていた。仏教教団では儀礼、呪術などは世俗的であるとしてまったく行わなかった。こういった仏教はインドの、それも仏教が発生した時代においては可能な形態であったが、異なる土地や時代ではかなり維持が難しい。時代とともに分化して異なったものになっていくことは仕方のないことでもあったのである。

女性の出家

女性の出家は最初認めていなかった。これは仏陀が女性は悟りを得ることができないと考えていたわけでなく、人間の集まりとして教団を考えた際に、女性が入ることによって和が乱れること、ひいては悟りを得る道にとって障害になってしまうと考えたからである。弟子のアナンダのはからいにより仏陀もしぶしぶ女性信者を認めることになったが、その際に「1000年は正法が続いたはずだが、これで500年になってしまうだろう。情」と言ったという。女性の信者のほうが戒律が多いのは、女性のほうが誘惑も危険も多いからであるらしい。余談であるが、弟子のアナンダが女性と接するときにどうしたらいいかを仏陀に訪ねたときのやりとりが面白いので全文引用する「世尊よ。私たちは女性に対してどういう態度をとったらよいのですか。」「アナンダよ。見ないことである。」「もし見たらどうすればよいのですか。」「口をきかないことである。」「口をきくときはどうすればよいのですか。」「心持ちをしっかり持つが良い。」修行はきびしい。

在家信者

在家信者も数多くいたし、むしろ在家信者のほうが数はおおい。在家信者の重要な行いのひとつに布施がある。出家したものは所有欲をすてる意味で財産を捨てるが、在家信者は生活があるためそれができない。よって、布施を行うことでその代わりとするのである。在家にとっては、戒律、禅定、智慧の前に布施を付け加えるほど重要な要素であるのである。在家信者は出家者よりも簡単に信仰をしたがるため、その対象は有形的なものに移って行った。聖物信仰、聖地巡礼、仏像崇拝などである。それらの傾向は時を経るごとに顕著になり、日本に伝わる際においてはその教理よりも仏像が先に伝わったほどである。後世になって出て来た大乗仏教では在家して社会的な義務を果たしながら仏教をすることにより初めて仏教の理想を実現できるとする考え方が生まれた。これは仏教の門戸を開放するものでもあり、古い社会では成り立っていた出家→修行という流れがうまく立ち居かなくなってきていたことの現れでもあると思われる。

インド仏教の歴史

仏陀の教えというのはその場その場で質問に答えて訓示を授けるといったようなやりかたであった。その他は戒律、禅定、智慧を正しく遂行するだけなので、仏陀が死ぬまで教典の類いがまったくなかった。仏陀の地方講演を聞いた人がそこで話したことを理解して(またはしなくても)そこで仏教を続けたりするので、仏教は各地で広まるがその教えというのは様々に分化した。そしてある時は国の保護を受け発展し、そうでないとき混乱期などでは衰退し、最終的にはイスラムの侵入によりインドでの仏教は姿を消した。ヒンドゥー教だし。wikiによるとまだ700万人以上はいるけど、人口の0.7〜0.8%くらい。発展を遂げる中で現在に見られる大乗仏教上座部仏教などが生まれた。
クシャーナ王朝のカニシカ王って出てくるけど、ベルセルクのクシャーンのガシュニカだね。

東アジアへの進出

シルクロードを通って中国に伝わるが、その際にはすでに中央アジアの地方色を帯びた仏教となっていたことが想像に難くない。中国では念仏と禅の実習が重視された。念仏の意味は本来は「仏陀に対して心を専らにする」ということだったが、中国語の念が「読誦する」「よみとなえる」という意味を持つため「南無阿弥陀仏」を唱えることに転化していった。禅は古くからしられていたが、菩提達磨の伝統により禅宗として形作られていった。日本には中国における南北朝時代5〜6世紀ごろに朝鮮半島から伝わるわけなのだが、明治時代にヨーロッパにならって原典研究が始まるまで、日本の仏教は中国の仏教の模倣、もしくは修正であり続けた。日本に置いても各人の努力、時代の要請などにより新たな宗派が生まれ、隆盛と衰退を繰り返すが次第に類型化していき、僧侶は死者儀礼や呪術などを職業とするようになる。これはブッダの排撃しようとしたものそのものであり本来の仏教とは異なるものとなってしまっていた。このように寺院仏教は形骸化していくが、仏教の説くヒューマニズムは一般民衆の精神的基盤となった。日本の文化における死生観や調和の美などは仏教をその由来とするところが大きいと考えられる。本来の仏教からは変質したものが伝わり、さらには国内でも政治の道具などとされながらも、仏教の本質の一端は確実に日本人に伝わっていて、日本における仏教の影響は多大であると言えるらしい。

仏教の思想

仏陀について

仏陀はすごいので、シャークヤムニはただの人間じゃなく経験界を超越した絶対的な存在人間の姿を通して顕在したものだろうと、またそういう存在があるという考えが生まれた。また、仏陀はそういう存在なので過去にも未来にもいるはずだ、とか。終末に弥勒菩薩が現れて世界を救うという信仰はこれを根拠とする。さらに大乗仏教では「仏陀は無限の慈悲をそなえすべての人を救済しようとするものであるから、どんな場所、どんな時にも必ず偏在する」とか無茶を言い出した。まどまぎ状態。宇宙は仏陀であり、我々すべてが仏陀である、という考え方も生まれた。仏陀が死んだ後に仏陀について神格化がなされたということ。

ボサツその他

ボサツという言葉は本来はシャークヤムニが仏陀になるまでの状態を示すものだった。転じて、仏陀を目指し努力をする人すべてを指す言葉となる。ボサツは仏陀とは違い輪廻の輪にとどまり人々を救い続ける。これは大乗仏教の理想とする姿であるらしい。ボサツ信仰も広い地域で根強く、有名なボサツとしては先ほど紹介した弥勒を初めとし、観世音、阿弥陀などである。また、仏教のその他の信仰対象としては文殊明王など。また民間信仰バラモンでの古い神々などを仏教にとりこんだ天部とよばれるものも信仰される。以上、おおきく4つ、如来仏陀)、ボサツ、明王、天の仏像を礼拝している。

世界観

仏教の世界観はすべて人間を中心に展開される。人間の宗教である仏教としてこの軸をぶれさせることはなかったようだ。仏教では人間の(世界の)要素を以下の5つに分け5群と名付けた。肉体および感覚の対象を色(しき)、感覚を受、表象を想、その他さまざまな精神作用を行、純粋の観念作用を識という。これらの結合/離散が人間や世界を形作る。これらは常にとどまらないので無常である。さらにこれらを支配できないので無我であり、これを思いのままに操れないことは苦である。人間は変化しないものを期待する、実体があると思う。それらは考えを放棄して楽をしたいだけで、この考え方は実際の現象とかけ離れているから、現実と考えが一致せず苦悩する結果となる。変化する事柄を受け入れ、実体がないならば実体がないということをそのまま認め、苦悩から脱出し、精進し、ネハンへと至りたいらしい。
以上は仏陀の教の基本であった。これをさらに拡大解釈しまくった。
・5群の要素の数が75個になって諸法と名付けられたりした。
・諸法の結合/離散で世界が作られていたが、諸法の実在性が否定され、絶対的真実は仏陀のみになり、すべての対立概念は本質的に同一になった。というか仏陀と一般市民も本質的に同一になった。
・諸法などというもの実在しない。あらゆる存在、あらゆる観念はすべて他との関係においてのみ有りとなる。これは仏陀の言う縁起である。
・中道は仏陀としては「快楽主義と苦行主義との両極端をしりぞけて八正道を実践すること」というように言っていたが、これを「すべての対立を否定し、絶対的な一元的存在としての宇宙的な仏陀を唯一の実在とみとめること」と再定義した人がいた。そして、この中道の精神にのっとって、すべての対立項目が究極的には同一であるということ把握する叡智が般若並羅蜜(はんにゃはらみつ)=智慧の完成と呼ばれる。色即是空、空即是色、一切皆空。
唯識論。目に見える世界は実在しなく、思惟の産物。世界に実際に存在する物は意識の流れ=アーラやと呼ばれるもののみ。
親に逆らうというか親を越えたいという気持ちの表れなのだろうか。あとは知的ゲーム、論理ゲーム。真理の部分集合として仏陀の教。

社会倫理

自己の理想を実現すると同時に他の人々に幸福をもたらすというのが、常に仏教の理想である。他を救うという心は慈悲という言葉によってあらわされる。慈悲の実践はまず第一に怨みの放棄である。怨みは怨みしか生み出さない。
暴力の否定、殺生の禁止も重要。根拠としては「人間として生まれるのはかなり運がよくて、人間にうまれたら真理を悟れるチャンスがある。その権利をうばう権利などだれにもないから。」人間が宇宙すべてより大事とすらいえるらしい。暴力を受けたら暴力にうったえるのではなく、正しい生活態度において身を守り、相手を導くことで身を守る。暴力の否定による平和主義は決して逃避やことなかれ主義ではない。
他宗教への寛容は仏教の慈悲を体現しているといえる。これらすべては新しい用語でいえばヒューマニズムであると言える。現代においてヒューマニズムが注目される中、仏教もともに注目度があがっているし、ますますあがるべきである。

仏教信仰の実際

この章では仏教がどのように変化しつつ信仰されてきたかを紹介していた。

解脱と救済

インドにおいては宗派として大乗、小乗、密教などがあるが、それぞれ世界観などに違いを持つが、仏陀の提示した戒律、禅定、智慧によりネハンへの道を目指すということについては同じ見解を持っていた。一方、東亜では状況が違った。中国では中国人の現実的な性格に基づき、抽象よりは具象的な性質を帯びた。また、戒律、禅定、智慧は一貫して扱われず、どれか一つに着目することが多かった。そこで生まれたのが禅定に着目した禅宗である。現実的な性格によって具象的な理解に寄ったが、禅宗は禅による瞑想に重きを置いているという点で原点回帰していると言える。
救済思想も古くからの思想である。在家の有形に向ける信仰がより発展していったものと考えられる。

宗教儀礼

古代インドで発生した当時の仏教教団では、宗教的儀礼にはまったく関与しなかった。これは当時のインドだからこそ可能であった。国民(王でさえ)は宗教家に布施をすることを当然と考えていたし、宗教的儀礼は古代インド宗教の僧侶バラモンが担当していたからである。日本、中国、その他ではこれらの状況は違う。東亜ではシャーマニズムをもととした僧侶らが国に対して大きな力を持っていた。そこに仏教が数々の儀礼をひっさげて登場したのだから、さらにこれに拍車がかかった。こうした下地もあり、仏教僧侶は次第に宗教的儀礼を担当することになったが、それは仏教の衰退を招く物でもあった。

宗派の形成

インドにおいては大乗、小乗、密教などの区別があったが、それらは組織を異にするものではなかった。
中国でも最初期は同様の様相を呈していたが、次第にどこが歴史があるとか言い出し、宗派になっていった。
日本には中国の宗派がほぼそのまま輸入された。宗派の区別は為政者にとって便利なので、国民全員が宗派に紐付けられて管理された。

将来への展望

この章では未来を語っていた。

新しい倫理

仏教は日本において明治維新のころには形骸化していたが、ヨーロッパでは仏教が見直されていて、それにならって日本でも再評価された。ただし、研究対象としてだけではなく、仏教の持つヒューマニズムこそさらに今その価値を再認識されるべきなのである。人間が自分で自分を磨き、全人類同士が慈悲の心を持ったらいいねというはなし。

アジアは1つ

仏教を通してアジアが1つになるといいね。日本もそこに参加していこうね。