新鮮さ

さて、久しぶりにちゃんとした日記を書いていきましょうとか考えてますが、やっぱりひさびさに書くとあれですね。ぜんぜん書き方が分からなくなってる自分にびっくりしますね。自分の日記ブームはやっぱり大学生の時で、それはもうテキスト系とかが流行って少し沈静化してブログってのが一般的になりつつあったりしたことのことですね。と、書きつつもなんか語尾の感じとかに違和感。ですねばっか使ってんじゃねーよ!馬鹿!小馬!こうまと読みます。なんかこう適当に思いついたことを、勢いだけで書くってのがこの日記のいいところということを思い出してきましたよ。書きながら考えるというか、手が喋ってるて言うか、タイピングハイってやつなのか、そんなこんなで書いていくといいんだっけか。

で、あれっすよ、社会人、会社員を経験するとどうも思考能力が低下するというか、同じことしかやらなくなるので馬鹿になりますね。や、なるね。今訂正して理由が読者のみなさんには分からんだろうけど、会社で使う語調やら口調やらが実際の生活に入り込んできて、それがこの日記にも反映されちゃったりするんだね。なりますねとかあんまり使ってなかった、、、はず。昔の日記を読み直せばなんかそこらへんのことが分かるんだろうけど、なんかちょっとこっ恥ずかしくて読み出すことができないんだよね。そんなこと言っといて、読み出すともう止まらなくなって全部読んで、俺天才とか言い出すんだろうけど。あーーーー、けど、ちょっと怖いねこれ。すっげーつまんなかったらどうしよ。予想としては、俺が書いている訳だし、俺は俺のこと大好きだからつまらなくても、大丈夫大丈夫おもしろいおもしろいと思い込むんだろうけど。

話を飛び散らかしていくのが醍醐味ですが、その、うわあああ、もう接続詞がでてこない!「で」とか「と、」とかで段落区切りを進めようとする俺が憎い!昔はもう少し語彙があったのになー。やっぱ一応数年続けてた時はそれなりに蓄積されたぱうわーがあって、それでもって書いてたんだねぇ。ちゃんと長い文章ぐちゃぐちゃ書いてたし、話の流れとかをちゃんと考えて書いて、考えなくてもそれなりに書けていたもんなー。いまやもう会社人間、スケベニンゲン、ジンデルフィンゲンってな感じで短い文章で簡潔に簡潔に書くことに慣れすぎた。これが成長というやつなのかー?無理に昔の文章体系に戻す必要はないけど、俺が書きたかったのはそういう日記で、支離滅裂意味不明が文章が好きで始めた訳で、こんなツイッターの投稿を並べただけのような短文日記を書きたくわないんだわ。でも、体が、、、勝手に、、、いけないことだとは分かってるのに、、、、指が勝手に動いちゃうんです、、、、あああっ!!!的なことになってますよはい。ツイッターねぇ。たしかに面白いしみんなとつながってる感がうっすらあったりして面白いとはおもいまっせ。全世界ではやってるっていう良い言い訳もありますし、流れに乗りたい人におすすめですがー、でもー、なんかー、文章短くてー、つまんないっていうかー、要点だけだしー、読む人のこと考えないしー、いごごちいいだけとちゃいまっかー、日記とかで書けるー、文章をこねくり舞わせるって醍醐味がーないっていうかー、こういうふうにー、どうでもいい感じにかくこともー、できるけどー、なんかアカウントとかが人にひもづきすぎてて無茶できないしー。なんつーか、日記を読んで育ってきた人間のサガなのかね。そうそう、今適当に書いていて意外と俺の心の中を見れたけど、文章をこねくり回す醍醐味がないよね。新聞とか本とかでしか印刷された文字ってのはなくて、それをいじれるのは出版とか印刷に関わって生きている人だけだったのに、それをただの個人がこうして打ちだして遊べるってのはなかなかのおもしろ体験だったよーな。もちろん携帯メールとかはあったりしたけど、ここまでの長文を印刷物っぽく作れるっていうのはwebがかなり最初で、それが楽しかったよね。うん。ツイッターは会話みたいなもんだから、どうもね。あと、人に読まれているって感覚も発生しないだろうしね。アクセス数って意識したことあるんだろうか?意外となんか消えたねあの文化。侍魂一億ヒットとかまじすげえとか思ってました。

と、ここまで書いて最初の文章を読み直してみたら、すげえ固いでやんの。動けてない。公式戦初出場のサッカー部員並みに固い。てか、俺の思い出乙。最初の文章はあれだね。支離滅裂さを装おうとして会話のつながりが無茶すぎる。いきなり日記ブームの話に言ってるけど、そこにとんだ理由が特に語られてないのがだめすぎるし、一回飛んだら戻ってきてその後にまた飛ぶってのをしなきゃいけないのにそれも出来てない。あーあー恥ずかしい。こんな感じに会話形式で書いているわけだけど、おそらく本当の会話でもちょっとその気はあったりしそうだわこりゃ。うーん、なんか今のも語尾に違和感。イワカンって映画監督いそうだよね、って挟み込むのもなんか違和感。

ふぃー。

ま、そんなに違和感感じてても書きづらいだけなんで、もう気にしないで適当に適当につまんなくても書き続けてみようと思います。
気がついたけど、更新しなくなって、その後ひさしぶりに書いた日記って、だいたい書き方分からん→日記論みたいなことやってる気がする。


おおっと!新鮮さって題名で書き出したんだった!そう、新鮮さね。ラーメンですよ。ラーメン。
人間って酔っぱらった帰りにラーメンを食べる生物じゃないですか。そりゃあもうずるずるとネギトッピングしたラーメンを食うじゃないですか。うまいじゃないですか。でもって、翌日起きるじゃないですか。まあそーなると、「あ、俺、ラーメン食べたなぁ、食べたなぁ、おいしかったなぁ、、、、、、、おいしかったけど、、、味覚えてない、、、?あれ、味覚えてないねー、そうだねーかわいいねー俺味覚えてないねー、て、またやっちまったよ!すんごいこってり系だからもう当分行かない!これで最後!って思って行ったのに、味、覚えてません〜2011夏〜じゃん!あーあーまた行かなくちゃだわーじゅるり。」って感じになる訳ですね。まあ85%位で。ラーメンを食べるっていうことは自制心なくなるまでに酔っぱらっているってことなので、まあたいてい味を覚える能力なんて持ち合わせるわけありませんし。なんつーか、揮発性メモリ。
けどそこで考えたんですね。よく良い小説やら映画やらを見終わったあとに「見る前に戻ってもう一回初めての気持ちでみたい」とか「この作品を見た記憶を消してほしい。んでもう一回見る」とか言たりするけど、この現象を使えばいつでも初めての気持ちでものごとに望めるんじゃないか?とね!そんなに張り切って言うことではないですが、かなり使える理論なのかもしれないです。ん?書いていて気がつくことって本当に多いですね。この理論は失敗かもしれません。確かに味の記憶はありません。けど、やったことは覚えています。すると、時間やらお金やらの損失に気がいって、心から楽しめない気がします。これって、、、、もしかして、、、、こ・う・か・いってやつですか?そうですか。なんか筆がのらなくなってきたし、疲れてきたんで唐突にやめたいと思います。次の日記では、「記憶喪失は楽しいのか」ってテーマでお話しさせていただきたいと思います。(予定は都合により変更される場合があります)