日常と儀式

日常ってのはかなり強固なエントロピー発散状態でして、その倦怠感なんかにやられちゃった人間がこれやばいなと思って季節ごとの儀式ってのが必要になってるんだと思ってみた。正月とかクリスマスとかがなくなっちゃったらなんかつまらんもんね。子供の頃はそんなもんどうでもいいと思っていたのは、ほかに強烈にやりたいことがあったからで、どうでもいい押しつけの儀式なんぞより、自分でイベントがてんこ盛りだったんじゃなかろーか。毎日が爆発的に楽しければ意味の良く分からん儀式なんぞやりたいと思わないはず。
友達らとこの日になんかしよーぜってなことを設定してみんなで集まってってやってることを、全世界でやってるってのがクリスマスとかだったりするわけで、こうかんがえると別に儀式を嫌う性質を持つ自分でもあほみたいに儀式にのっかっていっていいかなと思ったりできるかも。
そういった儀式の中で最強であるクリスマスを考えるに、ほんと日本(世界でもまあいっしょかな)じゃ宗教的な根拠ないのに、もう完璧に体に染み込んでてなんかすげえな。正月はやっぱ時節の区切りってことで、誰でもなんかやっちゃうかってなるのは分かるけど。たぶん正月がなくても、友達らとかと1月1日なんかしよーぜ!ってなるもんね。んー?でも、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日はなんかあるのに、ほかのぞろ目にはあんまりマジなイベントがないってのはどういうことなんだろ?なんか作ればいいのにね。なんか作るか。どうせなになにの日ってのは設定されてるっぽいけど、なんか自分のなかで作っちゃうかな。そうなるとやっぱり語呂合わせでイベント名を作っちゃう思考が働きだすのは当然なことで、まさに勝手につけられてるなになにの日と同じになってるのは日本人のサガなのか。