そーだ!ソーダでもいいそうだ!

サイダーはいつからその輝きを失ったのか。
僕らの子供のころはサイダーと言ったら街行く人の7割が振り向いたと言われるほど、この言葉には魔術的要素が含まれていた。いつごろからサイダーという言葉に魅力がなくなっていったのだろうか。
それは僕の中だけの話なのかもしれないが、昔、サイダーという響きにはえも言われぬものがあった。ものがあった、という表現はどこかおかしいがそうと書くしかなかったのだ。幸せやらごちそうやらの観念がごっちゃになって入っていたのだ。
僕のうちは、子供にジュース何ぞ飲ませるなっていう家訓、というか掟があって、まあ虫歯予防と贅沢防止のためだろうけど、サイダーなんて飲めたことが正月とか旅行のときだけだった。書いてて悲しくなってきたけど、どれも事実なのでしかたがない。この経営方針は今になって考えてみると、まあ、理にかなっているというか、子供なんてジュース与えとけば死ぬまで飲み続けるから、子供のときの俺が納得できなかったとしても、それはそれで正しかったのだろう。
それがいまや、もう、見向きもしない。サイダーなんて飲んでない。あえて言うならジンジャーエールは飲んでる。けど、ジンジャーエールはサイダーじゃない。サイダーってもっと透明で、暴力的に甘くて、青を基調としたデザインの缶に入ってるものだからだ。そんなわけでサイダーじゃない。
茶店に行ったりなんかもする年頃なんだけど、サイダーなんて頼もうとしてもいないし、もはやメニューにさえ載ってないありさま。いつからこんなことになっちゃったんだ。少年の心を忘れたか?大人ぶってコーヒーを飲んで、なんだこの苦い汁はって思ってないか?
昔、僕だけかもしれない、いや、そんなはずはない。昔、サイダーってみんなの憧れだったはずだ。甘い飲み物の代名詞。コーラに対するサイダー。輝きを取り戻せ!