価値基準

ぷっすま内山理名の肌がなんかあんま張りとかなくてがっかり。あんまりかわいくもない気がしてきて、や、外見で人を判断するのはよくない(アイドルの意味がなくなるけど)と思い、目が見えなくなったらという話に考えが飛ぶ。よっぱらいは考えが飛ぶのです。
目が見えなくなったら、表面的なかわいさ、美醜の基準はまったく意味がなくなるだろう。どんなぶっさいくでも対等に扱われる世界がそこに、フェミニストもこれで納得・・・?そうではない。絶対にそうならないのが世界で、確実に新しい価値観が出てきてそれはもう悲しいね。結局どっかで価値付けを施すわけよ。たぶんまずは声。かわいい声をしてる人がもてるんじゃないだろうか。それもかわいい声って基準は人それぞれだからいいっちゃーいいんだけど、それはいまだってそうである。どんなかわいいアイドルでも好きじゃない人はいる。あ、アイドルがTVを使えないし、TVは見えないから、ラジオが一番のメディアになるね。やっぱ声が重要になってくるだろう。それを考えると、その世界では顔なんて本当にどうでもよい部分になるわけだ。いまの世界の声の扱いといっしょで、あってもなくてもいいもの(意思を伝えたりするのに必要だけどまあ見逃して)に成り下がるんだろう。ほんとある世界での美醜の基準なんて、その流行に左右されるんだなー。昔はあれだろ?なんか顔長くて、眉毛丸くて、なんかとりあえず今ぶっさいくとされる人が最高の美人だったんだろ?はぁー儚いねぇ。人の夢と書いて儚いだよ。そんなんに縛られるもんか!反逆児だしね!俺!とか言っても結局見ちゃうんだよなー。どうしようもないのか、こればっかりは。