ひとりっこ

歯磨きをしている自分の歯と歯ブラシの動きを目をつぶって想像してみた。暗闇の中に浮かぶ歯茎、歯。それにそって動く歯ブラシ。なんつーかサイケ感だ。天才なのかとうぬぼれる。
で、こんなのは他人のを見せてもらえばはやいと思って、ひとりっこの話になる。ひとりっこの問題点はよく言われるところではわがまま、我が強い、甘やかされてる、我慢しない、などだ。これらはひとつの点に集約していくのだ。同世代の他人がいると認識できていない。他人が確かに居るという感覚が育ちづらいのだ。たぶん。
兄弟がいるといやでも他人、思い通りにならない他人、何を考えているかわからない他人というのが近くにいて、それについて悩まされてしまうってわけだ。そこでもう社会のしがらみを味わってしまい、いい人になる。かも。たいてい上にはいじめられるし、理不尽な思いをさせられることが多い。と、思ったら上は上であなたはおにいちゃん・おねえちゃんなんだから!これである。殺し文句があって、理不尽な我慢を強いられてしまう。どっちにしろ我慢、どうにもならない、いってしまえば邪魔な他人がいることを認識させられ続けるわけだ。
ひとりっこはその点で不利なのか、有利なのかはわからないところだけど、どちらにせよ他人という認識が甘いってのはあってそうじゃないかなーと思う。親が一番近くの人間になるんだけど、それは保護者だし、そこまで逐一行動を見ていることができるわけじゃない。いつだって「この年になってはじめて親をひとりの人間、男、女、として見れるようになりました。大事にしたいと思う。」だ。(この考えはしたくない、反逆児なので)歯磨きをしている自分を見ることができない僕は、自分で夜中目をつぶってひとり想像するか修学旅行で見るかくらいでしか見れないわけだ。めんどくさい。アーティストとしては致命的だ。(誰が?)スタート地点があれである。


あ、俺、ねえちゃんいた。