ラーメン

男ならだれでもそうなように,ラーメンが好きだ.好きでない理由なんかどこにもないでしょう.ラーメン.醤油と豚骨が好きだ.実は味噌は苦手.なんか味噌汁に麺ぶっこんで食わされているというイメージが付きまとってしまっているんです.どこでこの呪いを受けたのかは分からない.
で,今日も今日とて家生ラーメン祭りを開催してたんですけど,知ってますか?家生ラーメン祭り.なんと!家で!生の!ラーメンを!作って!食べる!そんな夏祭りです.ウメハラ実況のノリで言いましたけど,ま,ただの食事ですね.はい.まあ,祭りって付けるとなんでも華やかさを増しますんで,そこんところよろしく.家生ラーメンの魅力は,はっきり言ってねぎですね.外の葱は100〜200円します.家の葱は?3本まるまる入れても100円くらいですね.ここに魅力を感じないわけはないでしょう.作るのが一番簡単なトッピング,葱を愛している僕で本当によかった.これがきくらげとか煮卵とかだったらぜんぜんお手軽じゃないですものね.あ.いま煮卵がすごいゲシュタルト崩壊した.ニタマゴ.似た孫.煮卵.なんか,ださく感じてきた.煮てる卵.チャーシューは煮肉かってんだ.ざけんな.どっかのやつが,チャーシュー煮るときに,卵ぶちこんだだけだろどーせ.て,何怒ってんの?そんなんだからガスター20を飲む羽目になるんですぜ.俺よ.
ま,そんなわけで葱祭りも同時開催する生ラーメン祭り20100710を開催したわけだけど,そこでけっこうなことに気がついたわけです.ラーメン人生26年始めて気がついた.ラーメン道というものに.まさにラーメン道なのですが,ラーメンをすする際の麺の通り道には2種類あり,そして,だいたいすべての人がそのかたっぽに寄っているということに気がついたのです.
ラーメンをすする際の動きを子細に分析すると,まず一口食べる分を持ち上げて,一度器に落として,そしてすする,という流れになると思います.よほど特殊な食べ方を実践しているひとじゃなければ,だいたいこの流れでしょう.これをすると麺の動線はどうなるか,ということなのです.
持ち上げて,落として,すする.麺は最終的にラーメンの表面に位置し,そしてスープと一緒にすすられることになります.そのときのスープが問題です.
ラーメンのスープというものは,まるで母なる海のごとく,その深さにより成分が異なっています.表面部分は熱を逃さない油のカーテンがありますし,(現在のメキシコ湾もそうですね)中盤あたりは麺の移動量がはげしいため,麺の剥がれ落ちた部分がただよっています.(植物性プランクトンです)もっとも深いところでは,重みのある成分,コショウ,チャーシューの欠片,具の欠片なんかが位置しています.スープのタレのもとがたまっていたことによる味の濃さも見逃せない特徴です.
僕らは表面をなでるようにしか麺を動かしませんので,油が多い部部分を泳がせて麺をすすっていることになります.これでは,スープ本来のおいしさを発揮することはできません.ミルフィーユを一枚ずつ食べているようなものです.バームクーヘンを一枚ずつたべるのは良いと思います.
縦の動きが重要なのです.ラーメンのスープの本来のおいしさをあますところなく味わおうとするのならば,任意の場所の麺を掴んだら,持ち上げるなどとい野暮なことはせず,スープの深海から表層まで連なる麺の塊を一気にすすりあげる気概が必須なのです.もしくは,一度持ち上げた麺を,深海まで一度潜らせ,そこからすすりあげてやる必要があるのです.
欠点はあります.前者は熱いです.持ち上げるをみんながやるのは,そりゃ必要だからやるわけで,麺を冷ますためにやっているわけです.出来立てのラーメンの温度はたぶん60〜80℃はあるはず.やけどは必至です.猫舌では不可能かもしれません.後者は,みための派手さも加わり,プロっぽさ満点ですが,うざさも満点です.家のお祭りで感触を確かめてみてから出ないと,フィールドでは試してはいけないでしょう.

と,熱く(ラーメンだけに)語ってしまいましたが,どうでしょうか?面(ラーメンだけに)倒がらずここまで読んでいただきありがとうございました.ひさしぶりに日記書いたので,「文章が最初硬く,筆が乗って来ると喋り口調になる」というリハビリ症状が出ていますね.おはずかしいものです.