無限に生きる

たまに無限に生きるってことに興味を持ってみたりして、やっぱり永遠の命って人間が誰しも考えることだよねーと普通の人間であることを確認したりもするんだけど、手塚治虫火の鳥で人間の再生計画の観察役にされてしまった(アキラだっけか)(後で調べたらマサトだったw)の話を思い出すと、あれはあれで色々あってまじつらそうだから、ちょっと考え直す。
あの漫画の場合は人間が死に絶えた状態だから、絶対の孤独をずーーーーーっと味わってすごいつらかったわけだ。けど、とりあえずは僕がこれから永遠の命を得るとして、そして、あーやっぱ不老不死で。体が老いたらだるそうだし。で、僕が不老不死を得ても、人間は簡単には滅びないだろうから、やっぱり普通の生活をどっかしらで続けるわけだ。何年も同じ場所にいると面倒だから(さらに言えば、不老不死がばれてもめんどくさいから隠して生活することにする)、何年かで定期的に住む場所を変えたりして生きてくんだろう。そーすると、そのうち絶対に飽きるし、人間関係ってどこいってもめんどくさいし、とか色々あって、結局ずーっとこれから生きていくに当たって、そーいったことを考えるのがめんどくさくなっちゃうんじゃないかと思う。人間は与えられた寿命があるから輝くんだよ・・・閃光のように!!とかなんとかはポップの言で、本当にその通りだ。結果、やっぱ不老不死なしってことにしたくなるのは必須。
けど、自己顕示欲、自己中力などから、やっぱり夢を諦めないとすると、どのような実現方法が残されてる?自分の存在が消えなければいいわけだ。てことは、自分じゃない自分で、けど自分。考えを代わりにやってくれたりして、けれどその考え方はだいたい自分に似通っていて、体の特徴とかもやっぱり似ていて。で、気がついた。それが子供、子孫ってやつなのか。自分のなんとなくなコピーを作って次に繋げて・・・うーん。なんか深いところに踏み込んだような気がするぜ。