駅にて

人間をモノとして見るとちょっとおもろい。
見方を変えるととたん世界観がかわりますな。
新宿を歩いていて思ったのが、こいつら血の塊だなーとか筋肉の塊だなーってことで、そんなんがうじゃうじゃと歩き回って喋ったり笑ったりいちゃいちゃしたりにゃんにゃんしたりしてると考えるとよくわからんくなる。いったいなんなんでしょう。
顔の話になるとよく「けど皮一枚の問題なんだよなー」というやつがいるけど、それと同じで、そこまで人間をモノとして分解してパーツパーツで見ちゃうと、すべてのモノが変に見えてくる。そこまで人間を小ばかにして見ていいのか。どうなのか。
そういうことを言ってはいけないのだ。分解したが秒針が時計であることがないように、血の袋が人間ではないはずだ。筋肉をいくら集めても勝手に歩き出すことはない。いくら筒井康孝が「人間は糞袋だ」とかいかにもえらそうに僕は現実をありのままに見てます、習慣にとらわれずに真の人間観をもっていますって面をしようが、そんなことはみんなわかっているのじゃないのか、みんな。ただ、人が言わないことを言って喜んでいるだけかもしれないよってことだ。
と、言ってみたけど最初話題の始まりを思い出してほしい


「人間をモノとして見るとおもしろい」


そんなことを言ってよろこんでいるだけなのだ、俺が。えらそうな展開に行ってしまったのが敗因でしょう。偉くないからね、無理すんな。