安心感

パソコンに向かっているところを親に見られるとなんとなく居心地が悪い。別に僕が動画ファイルナビゲーターばかり見ているわけではない。普通にニュースサイトや個人ページの日記やネタフラッシュや2chを見ているだけだ。(あんま普通じゃないかも)そりゃ動ナビも見るけど。
そんなしごく一般的なネットサーフィンおよびPCライフを送っているはずなのに、なぜか見られると気持ちがよくない。おなじ画面を見つめるものとして、ゲームをすることやTV番組を見ることだって似たようなものな気がするのに、どうも勝手が違う。なぜだろう。
世間に認められていないからだ。世間というよりは親世代といったほうが正しいか。
昔のゲームっ子たちもこのような悩みを持っていたにちがいない。僕らはちょうどスーファミが世に出るころに、ゲーム世代に直撃したのでまあまあよかったけど、彼らは違う。外にも遊びに行かないで何やってんの!と罵倒されまくりだっただろう。そんな彼ら、先人達の努力の結果、遊びの中の1ジャンルとしてゲームが親に認められたのだ。いま幸せにゲームが出来る僕らはその恩恵に与っているのです。感謝しましょう。
親に理解できないもので子供がなんかたのしそうにしている。それが不幸の元である。なんなの?この子は!である。おやは安心したいのだ。本を読んだり、机に向かっているだけで安心である。TVも世間に認められ、自分達もよく知っているもだから安心。どの程度のものか自分は知っているから安心。もうトゥナイト2もやってないし安心。スポーツなんかも安心ですね。飛び散る汗、仲間との楽しい会話、明るく楽しい男女交際。そんな一般的イメージもあるし、実際親等も自分達でやってそう思っているふしがあるったりする。なんせ世間体がよろしいし。一転、PCなんぞ根暗、オタク、目が悪くなる、引きこもり、バスジャック、とにかくいいイメージがない。いい響きといえばITくらいだ。そんなITだって根暗な人々が支えてるんだってことなんかしらないのだ。そんなわけで、親が理解していないことをしているってことは親は安心していないってことで、そう親が思っているってことを自分から感じ取って、必要もないのに勝手に居心地が悪くなってしまっているのだ。

しかし勉強でパソコンを使うような学科にいる人たちはどうしたらいいのか。昔からのスタイル、勉強机に向かってノート、教科書を開いての勉強などが出来ない人たちの人権は?世間が追いついてこないってかなしいわー(勉強するつもりが30分で巡回サイトをチェックする僕が言ってます。)