やはり繰り返し、そう、繰り返しというやつのことをもうちょっと突き詰めて考えなくてはいけないと思うのだ。昔から日常生活のあきれるほどの繰り返し感はいたるところで、それこそ繰り返し論じられている。僕が例えば本を読むときいつでも、いや、3冊に一回くらいにはこのテーマが入っているように思う。それもそのはず、だれでも感じ、感じないわけにはいかない、人にとって普遍的な問題なのだからだ。そのことに気づいてこう書き出してしまっていることでさえおそろしくあたりまえすぎる。どうしようもないのだ。歴史、ということか。いま地球上に60億だかの人間がいるのかもしれないけれど、いままでの歴史上の人の生き死にをすべて換算したらものすごい数になるわけで、そのすごい数の人々がそれぞれに生きていた中でそれぞれに考えついてしまっていて、それを一部の人が本にしたりして発表してして、ああ、嫌になりますね。自分の考えが昔の人の思考をなぞっているだけだったと言うことに気がついてしまうむなしさ。それも繰り返しか。けれど逆に考えれば(逆に考えるというのはずるいのかもしれないけど)やっと、その、繰り返しのなかに入り込めたというわけでもある。安心だ。