全能の神がいるのなら、もうその神さんは全能だから、やろうとすることの結果がやるまえからすでに分かってしまうので、全能であるがゆえの不能になるのではないか。これ。いいこと言った?
こんなことが、昨日の日記(今書いたんだけどさ!)から出てきた。太宰がなんかで言ってたような気がするけど、自分で気づくかないことには自分の物として体に入ってこないってのはあると思うので、太宰の話はなかったことにして、自分に酔うことにする。全能ではない僕らはやることの結果を予測してもその予測があっているかどうか分からないし、やれるかどうかも分からずに、散々思い悩むわけだ。それでこそ世界は複雑さを保て、人間は進化できるのだからすごい。全能の神がなにもできずにじっとしているのを横目に、不完全な人間がおっかなびっくり成長してきたのだ。
人間の知識の受け継がれなさをもったいないと思うことがあったが、いまはそれでいいと思うようになった。一点にしか向いていない行進など、点の間際でごちゃごちゃになるだけだ。いままでの人間の知識を一人の人間に詰め込んだらどうなるか、興味深いところではあるのだが。