お、気づいたことが一つ。
 家を出ないでいると書くことがない、ということである。
自分の場合、道を歩いているときや自転車に乗っているとき、基本的に
何にも考えなくてもできることをしているときに、くだらない妄想が
始まるからだ。家にいると「何か」をしようとするので、妄想ることが
できなくなってしまうのだ。
 それに、もう一点。刺激があきらかに減る。人は歩いているだけで
足の裏で地面からの反発を感じ、地球を感じ、宇宙に思いを馳せる事ができる。
というのは嘘だが、歩くだけでも脳にものすごい刺激になるとどこかで読んだ。
(引用があいまいだと信憑性が失われる)他にも外に出れば、温度やら風やら
日の強さやら、自然にはいろいろな刺激があるし(それもなにも意味もなく
勝手にやってくれている。さすが)、人、車、etc(例を考えるのはめんどくさい)
人関係でも腐るほどある。学校に着けばくだらない、内容のない、とりとめもない、
喋ったその場で消えていくようなお喋りがそこかしこで繰り広げられ、
嫌でも嫌でなくても聞こえてくる。これも刺激だ。
 その刺激に対して脳がなんらかの引き出しを開けたり閉めたりして、
意外なものが出たり、当たり前の物が出たりと(たりたり文)あいなるわけだ。
家にこもっているとそれがまったーくない。2時間も3時間も同じ格好をして
画面に向かっている。そりゃあ体もなまります。ぜ。
 ここまで書いたが、すべてを一言でいえることに気づき、愕然とした。
(と書くとかっこいいが、流れ的に適当に出てきてしまうフレーズだし、ほんとは
そんなに愕然としていない。)昔の人は偉いものだ


「書を捨て町に出よ」


だれが言ったのか忘れて、しらべたら寺山修二。あれ?
昔の偉い哲学者あたりが言ってたはずなんだけど・・・
ま、いい。
調べてる間に文体が変わるのはお約束ってことで。