学校が昔から嫌いだった。大学もまったくもって嫌い!(嫌い!って書くと女の子がぷんすかして言ってるみたいでとってもたのしい)(これについては後日じっくりと)なんでかというと・・・何故も何もないだろ!つまんねーもんはつまんねー。あんなくそみたいな授業を90分も受けて、あほみたいに尻に体重をかけて血行を悪くしてるくらいなら、公園にでも行ってありの巣を見つけてそれをずーーーーっとながめてたほうがよっぽど楽しいっつーーの。お菓子を一袋もってそれを各ありの巣にちょっとずつおすそわけ。ありも喜ぶ、俺もたのしい。すばらしいいとおーもいませんか?あ、思い出した。大学がほんとにかすだっておもった理由。
理系の大学に行ってしまったのがまちがいだったのです。ただ、よくある「俺は文系だったのになー」とかいう自業自得のまちがいじゃないです。はっきり行って数学大好き!!eとかπとかもうサイコー!知的ってよいよね。というわけではっきりいって理系の勉強はすきなのです。で、問題にいきあたるわけです。みなさんも知っての通り、理系は

オ・タ・ク・が・多・い

もうこれにすべてが、問題のすべてが中身に見えるシースルー福袋みたいにつまってるわけです。つまり丸見え、みんな知ってる。
まあ、まわりの同級生がおたく過多っていうのは許せるんです。実際自分もその気がなきにしもあらず、というかそうでなければこんなとこでがんばってキーボードカタカタしてない。というわけでそれはまあゆるせる。友達はそうでもないし。たのしい。が、しかーし、先生である。いや、大学風にいうと教授なのである。あいつらがオ・タ・クなのである。教授なのだからその分野ではオタクと呼ばれるのはしょうがないのでは?とお思いの方もいると思うが問題はそんなところには存在していないのである。やつらの過去を振り返ってみれば核心を鷲掴みにできる。それは昔から勉強しかしていないので、

人と話がうまくできない

人としゃべることに慣れていない

しゃべれない

ということなのだ!これには本当にまいった。まず多いのがどもり。つっかえつっかえしゃべるから聞く気がおきやしない。さらに内容の飛び飛びさ。何を言おうとしているのか、要点を全くえないしゃべり方なのだ。はっきりいってコミュニケーション不全。それでは授業はなりたたない。これは一般教養の教授が他大の文系の教授でその授業はぜんぜんやる気になるというところから俺が一般化した定理である。多分理系の生徒ならだれでも全力で首肯してくれること請け合いである。まる。

そしておそろしいことにはこの定理は自分にも当てはまってしまいそうなのである。ここからの心がけしだいではあろうがきをつけたいものである。まる。