仏教こわい

アルコール水溶液を飲んで風呂に入って死にかけたことのある私ですが、喉元すぎれば熱さ忘れるの精神で、再度同じコースにチャレンジしてみました。結果、非常に気分が冴え渡ることとあいなりました。もう時期的にけっこう寒い冬の夜中ですが、風呂上がりの体はマンガ表現のごとくぽかぽかとし、ういーと気持ちよくソファーに横になって、しばらくそのまま体の発する快楽信号の中に浸りきっていました。すると、その無念無想状態の自分に不思議とある考えがおりてきました。仏教は宇宙の終焉を先取りするやばい理論だと。
自分の知ってる仏教情報はだいたいにおいて手塚治虫ブッダでの知識で、それによる理解だと仏教はとにかく欲を捨てて清く正しく生きましょうというものでした。そこで、では、はたして欲とはなにかと考えたのです。欲とは人が何かを求め自分に取り込むべく外部の物を引き寄せる力、言い換えれば引力と考えられます。そうなると欲をなくすこと=引力をなくすこととなり膨張しきった宇宙に話が似てきます。
現在の宇宙論による予想では、宇宙は緩慢に膨張を続け、いずれ熱的死を迎えることになります。熱的死を迎えた宇宙では引力がない訳ではないですが、すべての物体の距離が離れすぎて引力がまるで役にたたない世界です。ものとものが出会わないなにも新しいことが起きない世界です。欲がない世界を想像してみますと、誰もなにも必要以上のものを欲しがらない、新しい技術もサービスもいらない/生まれない、みんながみんな必要最低限の食物を作って食って寝て死ぬだけになります。新しいことがなにも起きず、熱的死を迎えた宇宙と同じと言えないでしょうか?なにかを欲する力がエントロピーの増大への唯一の対抗手段だと思うので、是が非でも欲をさらけ出してカオスな世界になるべきなんじゃないでしょうか?
と、こういうことを言うと「発展を望む欲を捨てるのです」などと言われそうですが、もはやそれは考え方の違いということになり、どちらが正しいということでもないのでしょうし、自分としては仏教の考え方は非常に好きな物でもあるんで、別に仏教を否定してる訳じゃないんですけどね。