時計

風邪引いて寝込むときなんかは寝すぎで寝れなくなり、けれど寝ていなくては直らないという思いが強いので寝ようとしてみると、いろいろなものが気になってきて、それは光だったり、外の物音だったり、首周りに触る服の生地だったりするけど、最終的にはだいたい気にならなくなる。が、それでも残るものがあってそれが時計の音だ。秒針の音だ。すごいうるさい。
しかもせまい家なので、いつもは気にならないほかの区画(部屋ではないところがかなしい)の時計の音までもが「俺も俺も」と参加してきて、一秒に2回、3回もカチッカチッっと鳴る。カカッ、カカッとか。カッカ、カッカ、とか。あまりに気になったので電池を抜いて止めた。無音。でもなかった。こんどは冷蔵庫の音がブゥーーン。家が狭いので。
時計が一秒を最小単位にしていてよかったなと思う。もし四分の一秒が一秒として定義されてて、それが時計にも反映されていたら、いまの4倍秒針が鳴ってしまうわけだ。チチチチ、チチチチ、チチチチ・・・すげーうるさい。が、また、一日が48時間ある星の人から見れば地球の一秒はなんて短くて、時計はうるさくて、ということになるのだろう。ん?その星の人から見たら、地球の1秒ってのは0.5秒に感じているわけだ。0.5秒なんて感じること自体が難しいわけで、その理由は一秒を普段の生活の最小単位にしてしまっているから。感じることが難しいって言っても別段感じなくてはいけないわけではないけど、1秒を最小だと思っているとそれは単位にだまされているってか、決まりごとにそのまま飲み込まれているだけだってことを自分は言いたいのでございます。1秒の下にも時間はある。
一年で一歳年をとるってのも考え物ですよって?ってそれはまあいいんじゃないですか?地球が、特に日本なんて四季とかあって一年がわかりやすいし。それよりも個人の成長の度合いが違うんだから、一年で一歳、20で成人というのをやめない?、って話だ。これは違う話だ。
あーあー。まとまりがなくなった。