判断

汚ったない文字を書いている人を見つけて「ああ、この人はこういう人なんだな」と思うときがあります。文字のきれい、きたないは案外人の判断に影響を与えていると思うのです。例えば「真面目で優等生の鈴木君の字はものすごい汚い」ということから、なんとなくただの優等生から親しみの持てる優等生になりますね。これは、銀魂で言っていた「くさいべっぴんさん」にも通じるところがあるのは言うまでもありません。(銀魂はおもしろいので読みましょう。漫画としてはヘタクソですが)
ですが、文字で人を判断するな!このノータリン!と言われることもしばしば。たしかに文字なんて練習すればうまくなるし、そんな事柄だけで人を判断してはいけないことは納得がいきます。がここで問題が出てきました。子供になって言ってみると嫌味がなくいい感じですので、子供口調で


「じゃあさー。どうやって人をみわければいいのー?ねぇー?」


伝わりませんね!失敗です。要するに人を何を基準にして規定すればいいのか?あのひとはこういう人だよ、という判断をどのようにすればいいのか?という問題です。さっきも書いたように文字はだめです。あんなもんでは人間はわかりません。言葉使い?だめですね。そんなもんじゃあ人間はわかりません。おねえ言葉でも人のいいお嬢はいるし、執事口調でも悪者はいますから。顔のよさ?だめ。人付き合い?そう、普通はそれかもしれないですがなんともいえないところです。人間性(よくわからん言葉だ)の判断は結局出来ないのです。外では潔癖症みたいな人が家ではウンコムシャムシャ食べてたり、新聞配ってると思ってたら拉致監禁事件を起こしたりしているかもしれないのです。(時事問題をいれてごきげんをとります)では、どのようにして人を判断していけばいいのでしょう?・・・むずかしいですね。哲学者が昔から考えたりしてる問題なんじゃないの?ってくらいどうしようもありません。人を判断することをやめ、毎日初めて会ったように接するとかいう方法をどっかで聞いたような気もしますが、あんまり良くなさそうです。そしたら人付き合いってのの意味がまったく失われるし。判断停止しかないのかなぁ?そうすると人付き合いが出来なくなるだけだし。(他人に興味をなくすってことだから)これはむずかしいですね。ですね、あとは若い二人にまかせましょう。ほほほ・・・。