眼鏡ごしの景色

僕はめがねをかけている。もちろん「人を色眼鏡で見る」といった象徴的なものでなく、ふつうの目が悪い人がかける視力補助装置としてのめがねだ。また、さまぁ〜ず大竹のように伊達でもない。
めがねをかけていて、ふと、思うことに「めがねをかけて見ている景色とかけないで見る景色はちがうものなのだな」ということがある。もう手放せないものとして、体の一部になりつつあるこのマイめがねが実は片方だけ目に合っていないとすると、裸眼で見たときよりもものがちょっと右によって見えていたりするかもしれないのだ。というか、もうすでにめがねと目との間で確実に光はなんらかの影響を外から受け、まんま目に入ってくるときとはちがってしまっているはずだ。
しかし、だ。ほんとうの景色なんてあるのか? と言われるとこの説(というか単なる思い付き)(それもちょっといいこと思いついた的な)ももはやずっとおおきな問題に吸収されてしまう。そう、そもそも目なんて光を取り入れるだけの機械。光が本当のことをうつしてくれなければ目は簡単にだまされるし、光が正しい情報を送ってくれても今度は脳での情報改竄がされてしまう。そもそも本当の景色なんてないのだ。現実ももしかしたらだれかのゲームのなかのキャラなのかもしれない。こんなことは多くの人が本やらなんやらで言っていることだ。たぶん自分もそっからの引用をしているのだろう。こんなことを考えるのをやめて、どっかに遊びいけばいい。